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Viva La Vida ビヴァ ラ ビダって、「今を生きる」 を感じること。 実在人物の軌跡、考え、心、光と闇に触れて感じるスペース ☆ 私的セレクト図書館。 

2014/01/04

リンゴが教えてくれたこと (木村秋則、農家・自然栽培指導家)

Advantage : 情熱/幸福の意味/挑戦したくなる
Key : 本/日本/社会貢献/奇跡のリンゴ/農業/木村秋則/自然栽培

Info : 




 自然栽培の「奇跡のリンゴ」を実らせた、木村秋則さんの沢山の思いが込められた手記です。
1978年から、無農薬、無化学肥料栽培への挑戦を開始し、11年目の88年にリンゴを収穫するまでの道のりと着眼点、生活状況やその時々の気持ちと共に語られているためか、等身大の木村さんの思いが一層感じられる本だと思います。
 
 現在も自然栽培の指導に情熱を注ぐ木村さんの夢は、農業家としての誇り、地球環境の修正に通じています。
近年、有機野菜(自然栽培とは異なる、JAS規定の有機栽培による)ブームの日本は、世界第一位(2009年時点)の肥料、農薬利用国だということを、どれだけの日本人が意識して暮らしているでしょうか。

 農薬の健康被害に苦しまず、家族の笑顔が畑にあればよい。
 貧乏でも楽しいこともある。達成感は素晴らしい。
 その結果が社会のお役に立って生きていけたら幸せ。
 
「奇跡のリンゴ」が実を結ぶまで約10年間の無収入、極貧生活、周囲の批判、失敗の連続、そして自殺を考えるほど苦しんだ時代を乗り越えての、今の木村さんの言葉と夢が、上のように巻末に語られていました。
 私利私欲にとらわれず、人間が破壊している地球環境を正すため、志を理解する農家に協力するため、今も毎日挑戦しつづける情熱と言葉に重みを感じ、頭が下がる思いです。
これが木村さんが追い求める幸福の形、美しいと思います。

 木村さんの自然栽培の歴史と信念、その発見は、農業知識が無い私にとっても興味深いものでした。それは、木村さんが元々サラリーマンで始めは農業知識が少なかったため、共感しやすいからでしょうか。
 結婚した当初は、家業のリンゴ農園を農協の指示通りに営んでいましたが、数年後に農薬被害に苦しむ家族の姿を見て一念発起。農薬や化学肥料を使わない農業に目を向け、0から自然栽培への道を歩き始めます。当時の農業常識と対峙する逆転の発想でした。
 それから約10年間、失敗の連続、極貧生活、家族への申し訳なさに苦しむ時代を過ごします。
それでも自然を観察しながら、「観察型農業」、「自然の山の生命力に教わる」を検証し、1つずつ壁を乗り越えて、自らが確信した道を、ぶれることなく突き進んでいきます。
自分がリンゴだったら、稲だったらと考え、土、草、虫、水、温度の働きを自然の生態系に近い環境にするには、何をすればよいのか。そして、自然に“ありがとう”という気持ちを持って接すること。
その徹底した自然観察には驚かされます。例えば、リンゴが無収穫の時代に、米や色々な作物の自然栽培も試していて、品種の原産地の環境に近づけることで収穫量が飛躍的にアップすることを発見しました。また、キュウリの巻きヒゲに手を出してみると、その生産者の指にはヒゲが絡まることが多いことにも気づきました。まるで、人の心を理解し、判断しているような現象です。
 自然観察は基本で大切なことを教えてくれる、植物も人間も地球の一部、面白いと気づかされることが多数書かれていますので、興味のある方は読んでみてください。
関連書籍も豊富で、子供向けもあります。

関連Info :

奇跡のリンゴ 奇跡を起こす 見えないものを見る力 リンゴの絆―“奇跡”を支えた真実の人間ドラマ

百姓が地球を救う 奇跡のりんごスープ物語

ブータン 神秘の王国 (西岡京治・里子、農業開発)

サブタイトル : BHUTAN
Advantage : 情熱/ヒトの品格/幸福の意味
Key : 本/海外/国際協力/社会貢献/西岡京治/農業/GNH

Info :


 1980年にブータン国王よりダショーの称号を授かった日本人、西岡京治さんを知っていますか?
日本との正式国交樹立1986年に先駆けて、1964年から28年間、ブータン政府開発省農業局に勤め、農業開発に尽くした人物です。
当時の、鎖国状態であった原色のブータンの魅力と生活が、里子夫人の目を通して生き生きと綴られた希少な体験記です。
 1980年以降、とりわけ2006年の5代ジグミ・ケサル国王の王位継承後に加速しているように見える、開かれた海外交流の時代に入り、今では旅行もしやすくなったブータン王国。変わっていくもの、変らないもの、途上国の人々が惹かれる理由の源が伝わってくると思います。
ブータンの文化、国民総幸福量(GNH)の考え方、QOL等に興味がある人に、是非お勧めしたい本です。

 初めての外国人として赴任した当時、電気や水、交通網が未発達、物々交換で成り立っている生活を、率先して楽しんでいる2人の様子に好感が持てます。謙虚で素朴なブータンの人々との交流、鮮やかな衣装や風習、食、ヒマラヤの中の自然についての詳細な情報に、好奇心が刺激されます。
殺生嫌いが徹底されていて、ハエも殺してはいけないし、鶏も卵を採るためだけに飼っているけれども、食生活に欠かせないバターを供給するヤクは、一頭殺したら多くの人で肉を分けて、余すところなく利用するから許される。
現地のゴとキラという民族衣装を手に入れるためには、数ヶ月かけて反物を発注し、その反物の対価として支払う物々交換の品物、例えばモミとか米、を入手し、それから仕立て屋に頼むなど、苦労とも感じずに面白がっているような目線が楽しいです。

 西岡京治さんの農業開発活動については、里子夫人による手記ということもあって、専門的な記述は多くはありませんが、どんどんブータンを好きになっていき、この国のために形として何か残さなくてはという気持ち、没頭していく過程がうかがえます。
村人たちに、この地にあった農業技術を浸透させること、村人たちだけで持続可能な農業技術で、ブータン産の野菜や果物を低地のインドにどんどん輸出できることを目標としていたことが解ります。

 専門家だから教えるというだけでなくて、現地スタッフと一緒に活動しながら学ぶことも沢山ある。
 農民の気持ちになり、何回もミーティングを重ねて大きな目標を理解してもらう気持ちに持っていくことが大切だけども、直ぐに効果が見える喜びを与えることも大切。

これらの言葉ににじみ出ている、優しくて謙虚な人柄がブータンの人々に受け入れられ、信頼を得て、成功につながったのだと思います。

 西岡京治さんは、学生時代からネパール近隣の農業に興味を持ち、その後も学術調査隊に積極的に参加していました。31歳の若さで、望んでブータンに赴き、1992年に予期せぬ病気で亡くなるまでの一貫した情熱と挑戦の歩みに、真のプロフェッショナルの姿を感じます。

 西岡京治さんの大きな功績のおかげで、ブータンには親日家が多いといいます。
未来が気になる神秘の国、実際に訪れて、目にしてみたいです。
幸せだと感じている国民数(97%)が世界一、本当に幸せなのか?
外国資本の大型ホテルがどんどん増えている近年、どのように発展していくのか?

ちなみに、幸福論といえば、2012年のリオ会議で感動的なスピーチをしたウルグアイのムヒカ大統領。(Hana.biより)この世界一貧乏な大統領の幸福論と比較して、どう思いますか?


図は外務省ページより ブータンの幸福論指数
国民総幸福量(GNH)

2014/01/01

建築家、走る (隈研吾、建築家)

Advantage : 挑戦/情熱/マネージメント力
Key : 本/男性/日本/建築/歌舞伎座 

Info :

 建築家、走る

 建築家、隈研吾さんがフランクに語りかけてくれる自伝的建築哲学論です。
ずばり、隈さんの人間力が秘められた本だと思います。
2013年春に完成した新歌舞伎座“GINZA KABUKIZA”の建て替えを手掛ける等、世界を駆け巡って活躍する隈さんの歴史、建築家としての経験と考察を自己哲学として確立していくプロセスを、社会、文化、経済情勢やニーズ、ミッションとして関連付けながら、熱く、そして客観的な両方の視点から語っています。

新歌舞伎座”、国内地方建築に集中していた時代の初期作品“石の美術館”にまつわる経緯や学術的記述には特に興味を引かれ、感銘を受けました。
それ以上に、人間クマケンゴの芯にスポットライトが当てられ、浮き彫りになる「弱いぼく」の姿と、「自称ニヒリスト」の捻くれた思考が顕にされていることが面白く、そのフィルターを通して改めて作品を感じ、強く魅せられました。

印象深かった隈さんの歴史、言葉を、幾つか挙げてみたいと思います。

 建築家になりたいと思ったのは、1964年小学4年生の時、丹下健三作品の代々木体育館に足を踏み入れて、美しい屋根の曲線を舐めるようにして降り注ぐ光を見た時だそうです。
・・・天職、人並みはずれた創造の才能って、運命の啓示ってものがあるのかなと思いました。

 そもそも自分を永久に幸せにしてくれる資産なんてものは無い。
ぼくも諦めを知ってから、人生も、建築も、本当に面白くなりました。

 反20世紀的な建築(反アメリカ的建築)を目指すこととは、その場所でしかできない、際立って特別な建築を創ること。
右手の機能を失ってから、その場所が発する声や気に耳をすませたり、眼を凝らしたりすることができるようになった。
・・・スケッチ力に優れ、自信を持っていた右手に怪我を負った時、あえてリハビリをしないまま、不自由さを選んだ。頭の中の思考や技術より、感覚、感性が重要だと改めて気づいたから。

 (東日本大震災の)復興のための建築は、「これからの生き方」を考えるということ。
次の社会へと転換させるアイデアでなくてはならない。

 日本人の自然観で自分たちの歴史を生きる。
作り続けて、壊れ続けてを繰り返す。つまり、「死に続ける建築」。


 分刻みのスケジュールで世界中のコンペに走り、次のステージでは、施主/クライアントや現場と折り合いながら解決策を探っていくしかないと、舞台裏の状況や心境を正直に吐露している部分もあります。
 建築家に求められているものは、この困難な時代のソリューションであると自覚し、どんなことがあろうとも、挑戦と創造性は基本楽しさであるということ、全てを受けとめている強さを感じます。
 世界的な視野、マネージメント力、求心力に優れていなければ、天才の創造力や知識を表舞台で発揮し、現世界の第一線を走り続けることはできないということを、身を持って示してくれているのだと思います。

 「何かが生まれるプロセスを、真剣な思いの人たちと共有する楽しみ」
これが一番大切なこと、バイタリティの源なんだろう。
人間として、クリエイターとして魅力的な言葉だと思います。


隈さんの最新作品(2013年12月現在)。
表参道のSunny Hillsパイナップルケーキ屋 さんに行ってみた。#隈研吾#sunny hills#写真
http://www.sunnyhills.co.jp/news.php



2013/12/29

海を飛ぶ夢 (ラモン・サンペドロ、尊厳死を選んだ一般人)

原題 : MAR ADENTRO
Advantage : 命、病気について/心の弱さ、闇について/幸福の意味
Key : 映画/男性/海外/尊厳死 

Info :    
     

海を飛ぶ夢 (翔年たちへ)


 25歳の事故以来、30年もの間、首から下が麻痺した生活を送りながら、自らの生、自由、幸福について考え続けて出した結論は、尊厳死でした。
 これは実在の人物、ラモンによる手記と記録映像を元に作成され、スペイン映画らしく、生身の人間の根源を直視したテーマが、心を抉るように迫ってきます。
人間の老い、性、妬み等のドロドロした隠したい部分、その中でも尊厳と死は重く、これからの高齢化社会、福祉問題を生きていく上でも避けられない大きなテーマでしょう。
 今回、“誰の心にも棲むもの”として切実に、実話として真っ直ぐにとらえ、“内なる海”(原作タイトル“MAR ADENTRO”の直訳)を映画表現として挑んだ、アメナーバル監督(スペインの若きヒッチコックと呼ばれる)と、名優ハビエル・バルデムのコンビに、拍手を送りたいと思います。
涙が止まりませんでした。

 ラモンは25歳の時、海の浅瀬に飛び込んで脊椎を損傷し、首から下が麻痺した寝たきりの生活を送っていました。その後、暫くは恋人を拒絶し、将来を悲観して苦しみますが、そのうちに、家族や周りの人々の温かい理解と助け、生来の明るい性格で、毎日を楽しく過ごそうと努力していました。そんな生活も20年以上経った頃、尊厳死を求めて裁判をおこすのですが、敗訴します。最後には理解者の協力を得て、自ら尊厳死を全うします。協力者の誰も罪に問われないように、一節毎に分担して準備をし、最後にビデオにメッセージを託してから死を実行しました。

 ラモンは、周りの友達に囲まれておしゃべりしたり、詩を創ったり、毎日が楽しいけれど、このまま生き続けることは幸せではない、心は自由でも体を伴わずに自己実現ができない、命を終わらせることの権利を主張していました。
 濃いカトリック色を背景とするスペイン社会では、障害者や弱者への救済や受け止め方は、日本とは異なって温かく、深く根付いていると感じ、それが一層問題を複雑にしています。
それゆえ、ラモンが何度も繰り返し言っているとおり、居心地は悪いものではなかっただろう、自己の生の中で求めるものを実現できるか、生きることの権利=生きることは義務ではない、について考え抜いた上での結論だっただろうと思います。

 「体はベッドに縛り付けられているけど、心は、精神は自由だ」と言っていて、その視覚的表現として、ラモンに扮する男優ハビエル・バルデムが、窓を開け放ち、バサバサと広い世界に飛んでいく映像があります。まるでピーターパンと空に飛び出す子供たちのように、その目には喜び、好奇心が映り、自由に空を、海の上を飛び回ります。
このシーンが印象的で好きです。現実への絶望感を哀しく、美しく、スペイン映画的に表していると思います。

 最後に、実際に自らが命を絶つ直前のビデオレターが流されます。
周りの人々への愛と尊厳死を選んだ主張が、メッセージとして見る者に語りかけます。

貴方はコレを見たとき、どう感じるでしょうか。

芸術分野

<美術>
なんのために生まれてきたの? (やなせたかし、漫画家/作家)

超・美術館革命 (蓑 豊、金沢21世紀美術館特認館長)

さかな の なみだ (さかなクン、お魚イラストレーター

<建築>
建築家、走る (隈研吾、建築家)

ガウディの影武者だった男 (ジュジョール、モデルニスモ建築家)

<音楽>
鳥の歌 (パブロ・カザルス、チェロ演奏家・教育者・平和活動家)

バックビート (スチュワート・サトクリフ、もう1人のビートルズ)

愛しのフリーダ (フリーダ・ケリー、ビートルズを支えた誠実な仲間

<映画>
マイケル・ムーア、語る。 (マイケル・ムーア、ドキュメンタリー映画監督)

ガウディの影武者だった男 (ジュジョール、モデルニスモ建築家)

Advantage : 情熱/幸福の意味/挑戦
Key : 本/男性/バルセロナ/モデルニスモ/ガウディ/ジュジョール 

Info :

ガウディの影武者だった男―天才の陰で忘れ去られたバルセロナ建築界の奇才


 スペイン、カタルーニャ地方のモデルニスモ建築家、ジュセップ・マリア・ジュジョール・ジベルト。
ガウディより27歳若い1827年生まれのジュジョールは、建築学校の学生時代にガウディと出会い、才能を見出された“色彩の芸術建築家”です。ガウディが最も信頼した協力者です。

 タイトルから、ガウディの名の下に表舞台に出られなかった若き才能や葛藤、師弟関係をイメージしていましたが、これは異なる才能を認め合った2人の自由な創作、刺激しあった造形と共同作業について書かれたものです。
ガウディの、時にはモデルニスモ時代の担い手ドメネクやカダファルクの作品と比較しながら、ジュジョールの世界を探訪していくうちに、その独創的な魅力に取り込まれてしまいます。
 特に前半は直接的な人物像よりも、ジュジョールの眼差しから学術的に検証、考察される作品の記述が多く、建築分野に関連して、芸術絵画、デザイン、カタルーニャ文化と歴史に興味がある方にも読みごたえがあると思います。

 ガウディの代表的作品と認識されている建築の中には、ジュジョールによる創作部分が数多く存在し、光っています。
 サグラダファミリアの天蓋・カテドラル背面の壁画
 カサ・バトリョの鮮やかな外壁
 グエル公園の波状ベンチ、カサ・ミラのバルコニー装飾等です。
ガウディが自分に足りないと感じていた色彩感覚や独創性をエッセンスとして付加し、建築作品全体のバランスを補強して完成度を高めるための必要なファクターであり、制作者独自のセンスと采配に任されていた“遊び”のパーツです。
大家のガウディが口を出すことも無く、信頼と協力で成り立っている関係、ジュジョールは協力者なのです。

 この本を読んで、3つのポイントに注目しながら2人の作品を見ていくと、気づく点が多く、面白いと思いました。
異なる才能、共同作業中のインスパイア「ガウディの中のジュジョール」「ジュジョールの中のガウディ」、其々の私生活が作品に与える影響についてです。

2人の才能とは?

ガウディ
 幼い頃から自然を熱心に観察していた。モチーフに海、水、岩山などが多い。
作品は想像力の産物ではなく、冷静な観察力によって見出した形態がベース。
全体的に計算されつくした、完全主義の美。

ジュジョール
 観察して、まず描いてみることを常としていた。
瞬間のインスピレーション、心象を自分の手を動かすことで心の中に刻み込もうとするよう。即興的。
想像力の産物、個々に芸術作品の1つとしての意味が高い。大胆。

ジュジョールらしい作品とは?
 1910-20年代にかけて、バルセロナ郊外のサン・ジュアン・デスピという小さな町の専属建築家として没頭した、76もの作品に見ることができます。
1909年の“悲劇の一週間”(労働者階級の暴動)以降、資金潤沢で派手好みのブルジョワのパトロンがなりを潜め、カタルーニャ主義の強い表現が牽制された社会、政治、経済状況下のバルセロナから離れた、自由な創作時代です。
 ここでの代表作にマシア・ネグラ(シュールリアリズム的な絵画を自由奔放に描いている)、ラ・クレウ(特殊な十字架の形を持つ塔、卵の塔と呼ばれている)等があります。
小規模で資金の限られた制作は、新たなアイデアや素材(身近な生活用具等)を見出し、思う存分にコダワリを貫くことができた、楽しさを見ることができます。

 ブルジョワ趣味の仕事を請け負う処世術と自分の理想の間で悩み、次には対照的な、本来貧しい庶民の心の拠り所である“神の家=サグラダファミリア”の理解と実体化、重責に苦しんだガウディは、生涯独身で、最後の時を神の精神に捧げて暮らしました。

 一方、庶民文化に根ざした建築美を追求したジュジョールは、状況によって奇抜な才能をコントロールしたり、父親と同じように教鞭にも立つ社会性にも恵まれており、愛に満ちた家庭生活を送りました。

 天才、富と名声、愛、、、、幸福の形について考えさせられます。

 とにかく、ガウディとジュジョール作品の写真、実物を提示しないと、内容と感情が旨く表せてない気がします。サン・ジュアン・デスピにずっと行ってみたいと思っていましたが、本当に探訪しなくてはと思いました。